寅さんの旅 第三回 孤独な旅人と温かい人の縁

旅先の寅さんを一言で言うなら“孤高の旅人”と僕は思います。真夏の暑い日差しの中、あるいは晩秋の夕暮れ、寅さんはカバン一つ下げて、美しい風景の中を歩いています。楽しい時もあれば、辛い時もあるでしょう。

男はつらいよ_38作_0001

旅先の寅さんの姿は、大抵ロングショットで、まるで絵画のような美しい構図で、大抵、物語の中盤に登場します。“寅さんが旅する風景”は、山田洋次監督のイメージする、日本の原風景です。失われつつある故郷の姿が、横長のスコープ画面いっぱいに広がります。山田組のキャメラ・アイである高羽哲夫キャメラマンのとらえた寅さんの旅の姿、実に美しいです。

寅さんの仕事はテキ屋です。秋祭りの縁日、豊漁を祝う漁港の祭り。そして、初詣で賑わう神社やお寺の参道で、見事な啖呵売で、行き交う人々を魅了します。

立て板に水の口上、啖呵売はいつ聞いても惚れ惚れとします。しかし、晴れの日もあれば雨の日もあります。素足に雪駄ばき、コートも纏わず、その日の宿代も、いや食事代もない日もあった筈です。

第16作『男はつらいよ 葛飾立志篇』で、16年ほど前のそんな日のことが語られます。山形県は寒河江を無一文で歩いていた寅さん。その時は、何をやってもうまく行かず、お腹が空いて、手足が凍えてしまい、矢も盾もたまらず駅前の食堂に入ったと寅さん。

そこでカバンと腕時計を出して「これでなんか食わしてくれ」と。すると「困った時はお互いですからね」と山盛りのご飯と湯気の立つ豚汁を出してくれた、お雪さんという女性の話をしたのです。

渥美清さんの名調子が冴える“寅さんのアリア”そして、山本直純さんの音楽で表現される旅先の寅さんの姿。茶の間の一人語りなのに、僕たちには冬の山形の寒さ、寅さんの孤独、もうどうにでもなれ、という捨て鉢な気持ちまで、手に取るように見えてきます。そしてお雪さんの温かい気持ち。

「その名の通り、雪のように白い肌の、それはきれいな人だった」と寅さんが語る、お雪という女性。横で話を聞いていたタコ社長が「観音様だよなあ、その人は」としみじみ言います。

映画では、そのお雪さんの娘で高校生の最上順子(桜田淳子)が、修学旅行で上京。柴又を訪ねてきます。もしかしたら寅さんが、自分のお父さんかもしれないと。結局、その疑惑はすぐに晴れるのですが、映像には一度も登場していない、お雪さんの姿が僕らの心のスクリーンにありありと映し出されるのです。

渥美清さんの姿に託した、山田洋次監督の素晴らしい演出で、そこにおゆきさんの姿が見えてくるのです。

寒河江の厳しい冬の寒さと、湯気の立つ豚汁の暖かさ。高羽哲夫キャメラマンが撮影したら、こんな映像になるだろうな、とイメージしてしまいます。

映画では、その後、寅さんは山形県寒河江市の上山温泉で商売をして、お雪さんが眠る慈恩寺に墓参をします。慈恩寺に通じる道を歩く寅さんの背中には、旅人の孤独と、恩人への感謝の気持ちを感じることができます。

その慈恩寺には、昭和50(1975)年、ロケで訪れた渥美清さんが「しばらく景観にも取れて腰掛けた石」がある。多くの参拝客が、この「寅さんの腰掛け石」に目をとめ、『男はつらいよ』シリーズに思いを馳せているに違いない。

映画のロケ地巡りの楽しさは、スクリーンに映し出された風景そのままを目の当たりにする喜びと、登場人物がどんな思いでこの地に立っていたのか、物語の世界に入り込む喜びがあります。

孤独な旅人の寅さんに、温かい気持ちを差し出してくれた女性と、その優しさに救われた寅さんの心情に思いをはせることもできるのです。

 

文 佐藤利明(娯楽映画研究家)

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