寅さんの旅 第四回 波光きらめく瀬戸内海で

 寅さんは旅人です。冬は暖かい南へ、夏は涼しい北国を、風の吹くまま気の向くままの旅を続けて、日本の四季を感じています。それをおばちゃんは「贅沢な男」と言ったこともあります。でも商売がうまくいかなくて、寅さん風に言うと”懐”が”旅先”の時は、駅のベンチや神社の軒先で過ごすこともあります。”懐は旅先”とは、年がら年中旅暮らしの寅さん。柴又にいつも不在のように、お財布の中身も不在というか、お金も旅に行ってしまっている、というニュアンスです。これは寅さん一流の言い方ですが、”旅懐(りょかい)”という言葉があります。旅人としての思い、旅情を表現したものですが、寅さんの”懐が旅先”は、案外、そんな意味もあるのかもしれません。

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 そんな寅さんですが、旅先で素敵な女性と出会うこともあります。第27作『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』の舞台は大阪ですが、前半に瀬戸内海の小島が登場します。

広島県呉市豊浜町小野浦、瀬戸内海に浮かぶ豊島の東側の港町で、寅さんが好物のあんぱんと牛乳でお昼を食べている、のどかな昼下がり。寅さんはブラウス姿の美しく、若い女性と出会います。墓参をしている彼女を、未亡人と早合点した寅さん。彼女とひととき、言葉を交わします。

何気ない旅先での光景ですが、こういう時の寅さんは、実にかっこいいです。人の気持ちに立ち入ることもなく、そっと側に寄り添って同じ空気のなかに佇んでいる、その空気感に、僕たちはああ、いいなぁと、旅情を感じます。

その別れ際、渡船に乗る寅さんと女性が、互いに名乗り合います。二度と会うことはないであろう、一瞬の出逢いです。瀬戸内海の波光、夏の日差し。高羽哲夫キャメラマンがとらえた、美しい日本の風景。そして山本直純さんによる、短いけれども印象的な「旅のテーマ」音楽。

観客であるわれわれは、こうしたシーンの「男はつらいよ」の世界を感じ、とても温かい気持ちになります。

このとき、寅さんは「大阪で働いている」というその女性を、清潔な雰囲気から工場勤めか、デパートの店員、OLかと思い込んでしまいます。「判った、銀行員だろ」と寅さん。彼女は笑って首を振ります。

松坂慶子さん演じる女性・ふみは、大阪は北の新地の芸者で、寅さんは大阪でふみと再会、こうして物語が始まります。

ふとしたことで出逢い、お互いの境遇を知り、そして寄り添う。恋愛も友情も、そうした機微の積み重ねです。この『浪花の恋の寅次郎』は、シリーズのなかでも、人の出逢いと心を通わせてゆくプロセスを、実に丁寧に描いていきます。映画は、ここから切なくも華やかに展開していきます。

 山田洋次監督の映画には、しばしば瀬戸内海の美しい風景が登場します。大阪生まれで、満州鉄道につとめる父の仕事の関係で、大陸で少年時代を過ごした山田洋次監督は、内地に引き上げてきたとき、瀬戸内海の島々を眺めたときに “日本に帰って来た”としみじみ思ったそうです。その”原体験”は、しばしば映画に登場します。

 ハナ肇さん主演の『いいかげん馬鹿』(1964年)の主人公・海野安吉が育ったのは瀬戸内海の小島でした。予算の関係で撮影は伊豆の松崎で行われたそうですが、安吉は後の寅さんのように故郷にいたたまれなくなって家出、十年ぶりに帰って来て騒動を起こします。

倍賞千恵子さん主演の『愛の讃歌』(1967年)は、フランスの喜劇作家、マルセル・パニョールの「ファニー」を下敷きにした作品ですが、瀬戸内海に浮かぶ日永島という架空の島で、ブラジルに行った恋人を待ちわびるヒロインの物語でした。

 『故郷』(1972年)も、広島県の倉橋島に住む石積船の夫婦を、井川比佐志さんと倍賞千恵子さんが演じ、変わりゆく日本のなかで、その発展に抗うことが出来ずに、島を捨てざるおえない夫婦の現実をドキュメンタリータッチで描いた佳作でした。

 ことほど左様に、山田映画における瀬戸内海とその小島は重要なモチーフです。『故郷』に登場する倉橋島は、その後、瀬戸大橋が開通し本州とつながりました。松坂慶子さんが再びマドンナとして出演した第46作『男はつらいよ 寅次郎の縁談』では、その瀬戸大橋の威容が画面いっぱいに広がります。『寅次郎の縁談』は、『愛の讃歌』で描かれたようなユートピア的な、架空の琴島で、寅さんが美しい葉子(松坂慶子)としばし楽しいときを過ごします。

「男はつらいよ」でも、第19作『寅次郎と殿様』で、寅さんが愛媛県松山市興居島の厳島神社でバイをするシーンが撮影されました。第32作『口笛を吹く寅次郎』のラスト、旅先で寅さんが出会った労務者(レオナルド熊)とその娘と再会するのは、広島県尾道市の因島大橋の工事現場。男やもめのレオナルド熊さんが、あき竹城さん扮する飯場の女性と再婚したことを匂わせる名場面でした。

 山田洋次監督の『東京家族』にも、瀬戸内海が登場します。橋爪功さんと吉行和子さん扮する主人公夫婦は、広島県の大崎上島から、子供たちに会うために上京します。大崎上島の美しい風景を眺めていると、寅さんもこの島に来たのかもしれない、と思ってしまいます。

 

文 佐藤利明(娯楽映画研究家)

 

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