寅さんの旅 第二回 風の吹くまま 気の向くまま

「男はつらいよ」シリーズの魅力の一つに、全国各地の風光明媚な土地を、居ながらにして味わうということがあります。トランクひとつ下げて、旅の暮らの寅さんが歩く風景を眺めていると、ああ、どこかへ旅に出かけたいなぁと、しみじみ思います。

山田洋次監督と共に、シリーズを支えたスタッフの一人、キャメラマンの高羽哲夫さんが撮影した“寅さんの旅”は、映画が作られた昭和40年代から平成にかけての日本の風景が、美しく切り取られています。この時代、日本は大きく変わっていきました。しかし「男はつらいよ」を観ていると“変わりゆく”時代に“変わらないもの”が見事にスクリーンに描き出されています。

男はつらいよ第32作

シリーズに登場したロケ地を訪ねて歩くのも、ファンの楽しみです。僕は仕事や旅行で各地を訪ねた時に、必ず、寅さんの歩いた風景を探し求めています。三年ほど前になりますが、四国放送のラジオにお世話になった折に、第26作『男はつらいよ 寅次郎かもめ歌』のオープニングとエンディングのロケ地である徳島県、第8作『男はつらいよ 寅次郎恋歌』と第32作『男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎』の舞台となった岡山県備中高梁市へと、ロケ地探訪の旅に行ってきました。

備中高梁は、博の父・飈一郎(志村喬)の終の住処となった土地です。『口笛を吹く寅次郎』では、その三回忌に出席したさくらと博、満男が、なんとお坊さんになっている寅さんと再会するという、爆笑シーンが繰り広げられました。

寅さんが納所坊主となった蓮台寺は、瑠璃山薬師院泰立寺という名刹で、ロケが行われました。映画公開から30年経った今も、変わらぬ佇まいでした。

第8作では、寅さんと飈一郎がお酒を買いに行き、第32作ではひろみ(杉田かおる)の実家としてスクリーンに登場した白神食料品店も健在でした。ロケ地巡りは、映画を追体験できる楽しい旅でもあります。

 

またある時、第18作『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』の舞台となった、長野県上田市の別所温泉を訪ねたことがあります。途中、上田電鉄別所線の中塩田駅に立ち寄りました。冒頭の夢のシーンが終わり、寅さんが目覚める場所でもあったからです。

この時の夢は“アレキサンドリアの星”と謳われた伝説の男“アラビアのトランスの夢”を見ていた寅さん、床屋さんの蒸しタオルのあまりの熱さに目が覚めてしまったのです。床屋のご主人に扮したのは、小道具・装飾の露木幸次さん。のちに備後屋さんを演じることになる、ファンにはおなじみの方。

中塩田駅近くで、この床屋さんがあったはずの場所を見つけて、すでに営業はされておらず、建物も変わっていましたが、そこに立つと、映画のタイトルバックと同じ風景が眼前に広がりました。

これがロケ地探訪の醍醐味でもあります。駅舎は、ペイントされてレトロな雰囲気を醸し出していますが、映画が撮影された当時のままの建物です。『寅次郎純情詩集』は、ぼくが小学6年生のときに公開された作品です。ぼくは密かに、映画当時のままに残っている建物や路地を“映画遺跡”と呼んでいますが、そういう意味では別所温泉駅も、寅さんが降り立った時のまま、同じ場所に、同じ佇まいで建っていました。

それを当たり前ととるか、感激するかで、ロケ地巡りの醍醐味が変わってきます。寅さんやさくらが、この駅まで乗ってきたのは“モハ5250”丸窓電車です。昭和2(1936)年に製造され、昭和61(1986)年まで現役だった、この丸窓電車は、別所温泉駅のほど近くに、静態保存されています。

「男はつらいよ」シリーズ、全48作は、26年間に及ぶ“寅さんの旅”の記録でもあります。実際に旅に出なくても、地図アプリやインターネットの地図で寅さんが歩いた街角を辿るだけでも楽しい時間が過ごせます。皆さんも、寅さんの歩いた場所を訪ねて見ませんか?

 

文 佐藤利明(娯楽映画研究家)

 

一覧へ戻る