男はつらいよ

  1. >
  2. >
  3. 山田組

山田組|TEAM YAMADA

脚本

脚本朝間義隆YOSHITAKA ASAMA

「寅さん」の物語にはいつも決まった形がある。決まった人物もたくさん登場する。だから、一つ一つ違う物語をこしらえるために、毎回新しい人物を作りださなければならない。それが、また、大いなる楽しみでもある。

プロフィール

1940年宮城県出身。
第7作以降、山田洋次監督と共に『男はつらいよ』シリーズの脚本を手掛ける。『遙かなる山の呼び声』、『同胞』などでも山田監督と共同で脚本を担当し、『幸福の黄色いハンカチ』ではキネマ旬報脚本賞、日本アカデミー賞脚本賞を受ける。

脚本

脚本は設計図だ。監督以下全スタッフと俳優は、この脚本に書かれているとおりに演技し、撮影して作品を作り上げる。作品の出来具合に大きく関係するとても重要なもの。「男はつらいよ」での寅さん(渥美清)の演技があまりにも自然なため、アドリブと勘違いする人がいるが、アドリブは滅多になく、ほとんどが脚本どおりだ。東京神楽坂の旅館に1カ月以上籠って書き上げられる。「脚本を書くということは血へど吐く行為だ」これは山田監督の言。無の状態からドラマを誕生させるのだから、いかに難しい仕事か理解していただけるだろう。

監督助手

監督助手五十嵐敬司KEIJI IGARASHI

スタッフ、出演者が、撮影のとき何を考えているかを素早く感じとり、スムーズに撮影が出来るように気を使います。セットもしかり、ロケ地では、楽しいムードで撮影出来たときは、やり甲斐を感じます。

プロフィール

1960年松竹京都撮影所に入社。1965年 松竹大船撮影所に移り第8作『男はつらいよ 寅次郎恋歌』でチーフ助監督に。以降第42作『ぼくの伯父さん』まで長きにわたり山田監督を支える。その他にも『キネマの天地』(86)、『息子』(91)など山田組に欠かせない名助監督。

阿部勉TSUTOMU ABE

人情がよくて、水の流れが清くて、線路があって列車が走ってて・・・そんなやさしい風景の町を探すのがロケハンの旅である。寅の旅先は、映画の観客みんなが行きたがっているような土地でなくてはならない。

プロフィール

第36作より山田組に参加。第43作よりチーフ助監督に。『学校』シリーズの助監督としても活躍。監督作として『しあわせ家族計画』(99)がある。

監督助手

監督助手(助監督)は4人。チーフはエキストラを集めたりロケ地での撮影許可等、さまざまな交渉事を行う。セカンドは現場の仕切り役。撮影がスムーズに進行するように振舞う。監督助手は技術パートではない。自分では何もしない。やりやすい現場の環境、雰囲気を作るのが何よりも重要な仕事だ。時にはスタッフの愚痴を聞き、時にはスタッフと飲みにも行く。これも大切な仕事の一つ。一言でいえば“潤滑油”だ。

撮影

撮影高羽哲夫TETSUO TAKABA

このシリーズは、色々やってみようというより、いつまでも変わらない世界として画面創りに気を配っています。

プロフィール

1926年福島県出身。山田監督『馬鹿まるだし』でデビュー。
『男はつらいよ』シリーズ全作のみならず、ほぼ全ての山田監督作品でコンビを組んだ日本映画史に残る名カメラマン。
1996年に亡くなるが、2008年10月には地元の会津若松(福島)に、高羽氏の足跡を紹介する遺品などが展示された高羽哲夫記念館がオープンした。

昭和51年(1976年)
  • 日本映画技術賞(『同胞』の撮影 )
平成 4年(1992年)
  • 日本アカデミー賞 優秀撮影賞(『息子』)
  • 日本映画技術賞(『息子』の撮影 )
平成 6年(1994年)
  • 日本アカデミー賞 優秀撮影賞(『学校』『夢の女』)
  • 日本映画技術賞(『学校』の撮影 )
平成 8年(1996年)
  • 日本アカデミー賞 会長特別賞
  • 長沼六男 MUTSUO NAGANUMA

撮影

よく撮影監督は女房役と言われる。監督との意思疎通をはかるため、常時監督のそばにいる。スタッフ全体を束ね、撮影現場の雰囲気を作るのも大切な仕事だ。演劇における舞台監督の役割だ。助手は4人。チーフは撮影機材の段取りや2台キャメラのときのBキャメラを担当する。色彩設計のセカンド、ピント合わせ、レンズ交換のサード、フォースはフィルムの装填、スイッチの係だ。撮影監督は絶えず大声でスタッフに指令を出さなくてはいけない。内気な性格ではとても務まらない。女房でも勝気な女房でないと。

照明

照明青木好文YOSHIFUMI AOKI

男はつらいよシリーズは、いまや国民映画と称される日本一の映画です。それだけに完璧なライティングを考え、1カット1カットに神経を使います。絶対に気の抜いた仕事は出来ません。私は、山田監督作品のスタッフとして照明を担当していることに誇りを持つと同時に、この仕事に命をかけていると言っても過言ではありません。

プロフィール

シリーズ第3~5・9~45作で照明を担当。『幸福の黄色いハンカチ』(77)など数多くの山田監督作品での照明担当として有名な大ベテラン。

照明

プロとアマチュアの映像の差は、照明技術の差と言える。松竹映画は女優が主役の文芸映画を得意にしていたので、女優を美しく撮ることには定評があった。照明技師はキャメラのそばに立ち、大勢の助手たちに指示を出す。キャメラマンと綿密に打ち合わせすることは言うまでもない。撮影と照明は一体の仕事だ。日本アカデミー賞では撮影と照明がセットで選出され、両者が担当した同一の作品から選ばれるのはそのためだ。照明部は一番人数が多い部で、最近は女性のスタッフも増えてきた。

録音・調音

録音中村寛HIROSHI NAKAMURA

良い映画を創ることは、映像は勿論のこと、録音も重要な役割を占めています。セリフが観ている人に伝わらなければ映画は何もなりません。常に言葉の抑揚、遠近感などに神経を使い、良い状態で録音すること。それが私の一番苦労することでしょうかね。

プロフィール

シリーズ第6~24作で録音を担当。山田監督作品を始め、数多くの松竹作品の録音を務める。

鈴木功ISAO SUZUKI

山田組に参加した25作より、オール同時録音(基本的にアフレコ無し)となり緊張感と責任感で一杯でした。演出の邪魔にならない音、芝居の音、遠近感、音質、音量を最重要視し録音。環境音でも風に乗って聞こえてくる、聞こえなくなる音に拘る。セットのくるまやのシーンは、ソプラノ、テナー、アルト、いろんな声音が集まったひとつのシーンを、シンフォニーとして心地よく聴いて頂く様気を配った。当時のアナログの音が懐かしく思います。

プロフィール

第25~48作で録音を担当。その他、『キネマの天地』(86)『息子』(91)など多くの山田監督作品を担当。日本アカデミー賞最優秀録音賞も受賞している。

録音

録音技師はキャメラから離れた場所にいる。セット撮影時はステージの隅っこに。助手は三人。チーフはキャメラのそばでマイクのアレンジ。セカンド、サ―ドは長い竿の先に付けたマイクを俳優に向ける。チーフは技師に現場の状況を説明し、録音技師は機材を操作し収録する。初期の「男はつらいよ」はアフレコだった。撮影所で映写しながら口合わせの録音。渥美さんはこれが大の苦手だった。が、録音技師は言った。「渥美さんの声は張りと艶があって録りやすい」と。しかし、晩年の声はその張りと艶を失い、「ヘッドフォンで聞いているのが辛かった」と。

調音松本隆司RYUJI MATSUMOTO

プロフィール

ほぼシリーズ全作にわたり、調音を担当。『幸福の黄色いハンカチ』(77)『息子』(91)など、多くの山田監督作品に携わる。『男はつらいよ 寅次郎の縁談』(93)『学校』(93)では録音の鈴木氏とともに、日本アカデミー最優秀録音賞を受賞。

調音

調音技師は撮影現場にいない。撮影が終了後の仕上げ作業が仕事だ。現場で録音したセリフ等の音、ドアの開閉等の効果音、音楽等をミックスして一本の音にする。撮影現場の状況を知らない利点もある。音の打ち合わせで、「遠い電車の音を入れたらどうか」と提案。そこは実際には鉄道が通ってない。現場に行った者にはなかなか発想できない。が、おかしくはない。それで採用となったりもするのだ。

美術・装飾

美術出川三男MITSUO DEGAWA

セットの設計といっても、一軒の家には、人が住み歴史があります。年代と共に変化するので、安易なみてくれだけのセットだけは創りたくないと常に考えて仕事しています。

プロフィール

1936年東京都出身。59年、松竹大船撮影所美術に入社。『男はつらいよ 葛飾立志篇』(75)から最終作『男はつらいよ 寅次郎紅の花』(95)までのシリーズすべてを手がけた。96年、フリーになって以降も、『たそがれ清兵衛』(02)、『隠し剣 鬼の爪』(04)、『母べえ』(08)など山田洋次監督作品に数多く参加。近作に『おとうと』(10)、『東京家族』(13)『小さいおうち』(14)『母と暮せば』(15)がある。

美術

「くるまや」やマドンナの家等のセットデザイン。ロケ撮影でも、ありのままで撮影するとは限らない。看板を立てたり暖簾を取り換えたりもする。「男はつらいよ」で、寅さんが田舎道を歩くシーンで、あぜ道にはいつも花が咲いていることにお気づきだろうか。あの花は、すべて撮影所からトラックで運んで植えたもの。美術部の仕事だ。助手は二人。書類とか、新聞記事とか、ポスター等を作る。大事な仕事に“汚し”がある。生活感を出すために、壁や壁に貼ったポスター等を汚す。山田監督は生活感を重視するので、汚しの注文が多い。

装飾町田武TAKESHI MACHIDA

寅さんの物語が三ヶ月以上にわたるので、季節感や生活のにおいなど、より現実的に表現することに神経を使います。

プロフィール

シリーズ第4作より装飾を担当。啖呵売の品物や、くるまやの食卓に並ぶものなど、『男はつらいよ』の下町の生活感を陰で演出している。

装飾

美術監督のデザインをもとに、大道具の立てたセットに家具を入れる。「くるまや」の座敷の飾りはすべて装飾部が置いたもの。さくらの家の台所の飾りをよく見てほしい。リアルな生活感が感じられる。これも山田監督のこだわり、細かな注文が活きている。装飾部の仕事は多岐にわたる。犬、鳥等の生き物、“消えもの”と呼ばれる食べ物その他。ロケ先で「あれが欲しい」と監督から急な注文が出ることがある。そのために絶えず金は持っている。急に言われてうろたえるようでは務まらない。短気もだめ。しかし、なぜか装飾部の親分は気が短い。

小道具(持ち道具)

俳優の身の回りの物すべて、寅さんの帽子、首から下げたお守り、指輪、雪駄、旅に出るときのトランク。啖呵売の売り物も。毎回売り物を何にするか小道具と助監督の相談が延々と続く。時には渥美さんに相談したりして監督に最終判断を仰ぐ。なぜか小道具には芸達者が多い。山田組の小道具の露ちゃん(露木幸次)が、柴又の備前屋としてセミレギュラー出演していることは、寅さんマニアには常識のこと。

編集

編集石井巌IWAO ISHII

「山田組」の編集の際に心がけたこと、気をつけたことは沢山ありますが、特に山田監督の人間を見る目の温かさと優しさをそのまま伝えたい、それと監督の作品への想い、情熱、ねらいを観客にどう伝えていくか、そのような所を気をつけて温かい編集をめざしました。

プロフィール

松竹大船撮影所の編集マンとして『九ちゃんのでっかい夢』(67)から山田監督作品の編集をほぼ全て担当。
『男はつらいよ』第一作から最終作までを手掛ける。その他主な作品に、『家族』(70)『故郷』(72)『同胞』(75)『幸福の黄色いハンカチ』(77)『遥かなる山の呼び声』(80)『息子』(91)『学校』(93)『たそがれ清兵衛』(02)『隠し剣 鬼の爪』(04)『武士の一分』(06)『母べえ』(07)『おとうと』(10)『東京家族』(13)『小さいおうち』(14)『母と暮せば』(15)『家族はつらいよ』(16)がある。

編集

編集部も撮影現場にはいない。撮影所の編集室で撮影済みのフィルムが現像所から届くのを待っている。現場を知らない利点がここにもある。大変な苦労をして撮影したカットでも無い方がいいと判断したら冷酷にカットしようと主張する。観客は撮影現場を知らないのだから、編集技師の目は観客の目と同じと言える。「男はつらいよ」の編集技師、石井巌さんは頑固者。監督と意見が対立することしばしばだ。だからこそ山田監督の信頼が厚い。

音楽

音楽山本直純NAOZUMI YAMAMOTO 第1~48作

プロフィール

1932年東京都出身。
指揮者、作曲家として活躍し、『男はつらいよ』ではシリーズのメインテーマだけでなく、さくらのテーマやマドンナ各人のテーマの作曲と多彩なバリエーションを生み出した。

山本純ノ介JUNNOSUKE YAMAMOTO 第47・48作

演奏は概ね、所謂、寅サン楽団です。彼らは事実上山田組の音楽部でその参加が欠かせません。レギュラー俳優と同様です。毎回、ある程度ラッシュがあがる頃、彼らのスケジュール調整となり、音楽担当の荒井雅樹助監督と音楽作家(直純と助手数名)との下打ち合わせを経て、全体の音楽プラン、ダビング表が見直されM番号が振られラッシュを重ねます。(中略)毎回マドンナにはいくつかの旋律を用意し、監督の要望が複雑になりそうな箇所は、数曲作ります。

プロフィール

山本直純の息子で作曲家。第47作以降は父と共同で音楽を担当している。

音楽

まず脚本が渡される。どういう映画か脚本から漠然としたイメージを浮かべ始める。ある程度、撮影分が溜まったところで撮影所に呼び、ラッシュ(部分撮影分)を見てもらい最初の打ち合わせ。これを何度か繰り返す。すべての撮影が終了してから最終音楽打ち合わせ。「男はつらいよ」はシリーズ物で、音楽担当は山本直純さん一人だったので、マドンナのテーマくらいの打ち合わせで済んだ。直純さんは自ら指揮棒を握った。右手を高くあげ「次は“哀しみテ”!」と大声で楽士に指示していた姿が目に焼き付いている。“哀しみテ”とは哀しみのテーマの略。